エリック・ギルーその魅力と限界
うつくしい文字の奥にあるタブー
みなさんパソコンでタイプするときに、好きなフォント(書体)はありますか?
文字のデザイン、たくさんありますよね。
大学生(グラフィックデザイン学科)の2006年まで、わたしは家でも学校でもmacを使用していました。
既存フォントの中で、在学中4年間、なぜだか同じフォントばかり選ぶじぶんに気づきました。
なまめかしいフォント、Gill Sans
そのフォントの名は「Gill Sans (ギル・サン)」。
デザイナーはEric Gill(エリック・ギル)。
19世紀に活躍したイギリスの彫刻家です。
2005年ごろの日本ではそんなマニアックな人物についての書籍はゼロに等しかったのですが、一冊だけ日本語の伝記本を見つけることができました。
この本を元に、卒業制作のテーマとして取り組んだのです。
「なぜ、わたしはこの文字に引き寄せられるのか。」
他に洗練された、スタイリッシュでおしゃれなフォントはたくさんあります。
しかし、このGill Sansのラインひとつひとつには何か、人間らしい痕跡のようなものを感じるのです。
彼についての伝記を読了して、その理由がわかりました。
とんでもないモラルの持ち主だったということが!
敬虔なカトリック教徒でありながら、
実の娘2人との近親相姦、飼い犬との獣姦…
おぞましい内容の直筆日記から物議を醸す内容が発覚してショックでした。
が、そんな異常愛をもった彼がつくる彫刻も文字も、息を呑むほど美しい。
人間としての欠陥部分を埋め合わせるかのように、完璧な創作物を生み出しています。
この書体を選ぶわたしは、どうかしているのでしょうか。
いえいえ、彼の書体に魅了されている人は世界中にいるのです。
映画や楽曲のタイトル、ウェブサイト、建造物、企業ロゴ…。
いま現在でも、イギリスでは公共施設の至るところに使われています。
たとえば、地下鉄のロゴ。
よく見かけますよね。
犯罪者がつくったものは壊すべき?
出生地イギリスで彼の告白が周知されたのは2022年1月12日。
英国放送局BBCの建物、正面玄関に彼の彫刻がドーンと構えてありますが、制作者の忌まわしい行いを知り、怒りにかられた人によって彫刻を破壊するという事件が起こりました。
いつの時代も、どんな業界でも、犯罪者とその作品の評価が同一にみなされてしまうことがあります。
作品を抹消したところで起きた犯罪は消えませんし、同時に、人々の心に覚えた作品への感動も消えません。
罪が公にならず裁かれないままこの世を去った彼は、痛くも痒くもないですよね。
ただ無惨に怒りをぶつけられ破壊される様に心が痛むばかりです。
彫刻自体は、ほんとうに美しいですし、タイポグラフィだって美しいのです。
選んだことを肯定する
わたしは卒業制作に、意味を持つアルファベットとしてではなく形態として自由に遊んだアートブックをつくりました。
なにせ艶かしさが練り込まれた彫刻の一部ですから、文字というより彼の欲望が投影されたカタチとして取り組むべきだと考えたのです。
…低俗なエロさを盛り込んだものではございません。
eやRを人の一部に見立てたり、針金で再現してみたり、白地に黒字のタイプを鮮やかな色紙ページで挟んでみたり。
デジタル化した文字ですら、人を惹きつける強さを何世紀にもわたって放ち続けるのは、やはり普通じゃないですよね。
彼の手や目が得た忌まわしい体験を通して生み出された造形だからと知って、素直に感動するのは悪なのでしょうか。
そのような否定は、人間そのものの否定であり、清廉潔白・品行方正なものだけが認められることになりますけど、…あり得ないですよね。
答えはない話ですし、彼の伝記にある出来事と、わたしが彼の文字に魅了された事実を受け入れるだけに留めたいと思います。それが肯定であり、自分にとって最も大事だからです。
オリジナリティが宿る場所
体験・経験に勝るものはなく、知識だけではオリジナリティは出せないことを、近年の流行りとしてchatGPTやmidjournyを使った多くの作品群を見て思います。
ひと昔前だと、adobe Illustratorやphotoshopの使い手が「やっぱり手描きの魅力にはかなわない」なんて言われたのと同じですね。
デジタルにしても、アナログにしても、表現手法にかかわらず、人間の、もっとも人間らしい崇高な部分あるいは醜悪な部分が作品に反映するとき、そこに魂が宿って人目を引くのかもしれません。
多くの人に好かれたい、悪目立ちはしたくない、みんなと一緒がいい、非難されたくない、褒められたい、
こういった思いが先立つと、主張が貧弱な作品になってしまうのかな、と思います。
「もっとリアルに表現したい」「あの感覚を表現したい」
その思いが強いアーティストは執拗に作品を磨き上げます。
時間とか疲れとか、お金とか人付き合いとか、評判とか世間体とか、
そんなものは二の次で、自身の世界観に没頭しています。
あこがれの作品をつくるには、自分のなかにつくった、なにかしらのタブーをやぶる勇気が必要なのでしょうか。
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